食べ物を捨てられない

 

 

なんか最近めちゃめちゃ太った。

 

コロナウイルスに自宅謹慎を食らい

家の中でひっそり丸くなってる引きこもりのインキャヲタクにとって

いま1番の楽しみは「食べること」

 

当然、1日4食になりますわな。

食べれば食べるほど、確実に胃は大きくなっていった。

器にご飯を盛るとき

パスタを茹でるとき

冷凍のたこ焼きを温めるとき

どのくらいの量で自分は満腹になれるのか分からなくなった。

 

心のゆくままご飯を皿に盛ると

当たり前のようにキャパ越えして腹が死ぬ。

そこでたぶん大抵の人は食べきれなかったものを捨てる。

別にそれは全然悪いことじゃないんだよ!

ただ、私はそれができない。

 

食い意地が張ってるとか食べるのがめちゃくちゃ好きとか

理由はたくさんあるけど、一番の原因は「育ち」だと思う。

幼少期の習慣ってまじで呪縛でしかなくて、

私が通ってた保育園には、給食を食べきるまで外遊びに参加できないとかいう謎ルールがあった。

 

しかもそれだけじゃない。

保育園から帰り、テレビで忍たま乱太郎をつけると、食堂のおばちゃんが

「お残しは許しまへんで」と言った。

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食堂のおばちゃん(右)

こうしてお残しは絶対的な悪という価値観を植え付けられ、

自分までもお残しに加担しようものなら

環境破壊が加速して世界の均衡が崩れてしまうと怯えていた(ガバガバ理論)

 

時が経ち、いつの間にか私は大人になった。

それこそ昔はお残しは許しまへんでぐらいしか恐れるものはなかったが

今は違う。

大人の狡さや世の中のしがらみに触れ

自分じゃどうすることもできないような壁にもぶつかって

とにかく色々と悩むことが増えた。

うだつの上がらない自分に嫌気がさして

もう何もかも辞めてやろうかと思うときもたまにある。

 

でも必ずその度に気付かされる

今の自分をすべて捨てて新しく生まれ変わるには、

大切なものが多すぎると。

 

 

かつて村上春樹は『ノルウェイの森』の作中で

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

と言った。

 

なるほど。

きっと今の不完全な生活も、

満たされた幸せな人生の一部として存在してるんだと思う

 

そして望んだことすべてが叶うような人生の先にあるのは、

今以上に実りのない不完全な生活だ。

 

肝心なのは

自分の弱さや醜さを愛して、受け止めて、

それでも自分だけの人生を全うするために

前へ進むことなんじゃないか

何かを無理に捨てる必要なんてない!

 

 

 

結局なにが言いたかったというと。

ご飯を盛り過ぎてしまう不完全な自分も愛そうと思います!

食べ物を捨たりなんかしなくていい!!

行けるとこまで太ってみよう!

 

 

 

では!